こんばんわ。
ならはしです。
ただいま午前一時半。
友達六人でボーリングに行ってきました。
最近、ボーリングに行く機会が多く、最初は平均110。時には100をきっていたスコアも、120をきらなくなって来ました。それでも、よくボーリングに行くグループでは最低120を出さないと賭けに負ける。っていうか、お話にならないので、ようやく勝負できるかなって感じです。
ちなみに僕はスピードボーラーではなく、20Km前後を真っ直ぐ投げるしか出来ないという、まぁ、コントロールタイプでもないですね。
とりあえず、仕事の付き合いでボーリングになった時、恥をかかない程度のスコアまで普通に出せるようになりたいです。大体成人の男の人ってどれぐらいのスコアを出すもんなんでしょうか。
ん~、目標は130きらない事!(過去のベストスコア198・今回のハイスコア157)
それでは~
どうもです。
ならはしです。
“僕の生きる道”というドラマのDVDをレンタルしました。――やべぇのです。泣きそうなのです。
全四巻中の三巻までしか視ていないのですが、うん。泣きそう。
強引に悲劇的にするわけでもなく、無理やり恋愛を絡ませるわけでもなく、ただありのまま、余命一年を宣告された主人公が苦悩し、周りの人も戸惑い、同じく苦悩する。ドキュメントにも似た感覚。でも、だからこそリアルに極限にまで近くなり、親近感を覚え、感動するのではないのかと。
あぁ、自分も余命を宣告されたらあんな感じなのかな~、と。もちろん主人公のように、死を卑屈に捉えるのではなく、正面から向き合えるかどうかは怪しいですが、出来るなら、あぁいう風に向き合えたらな~、と思います。(タイトルからドラマの詳細な内容へとびます)
さて、お話は変わりまして。
唐突に余命を知らされると、人間はいくつかの工程を踏むようで、
1、余命幾ばくも無いという事実に驚愕し、驚くばかりで実感が湧かない。
2、やがて少しずつ受け入れ、どうせ死ぬならとやけになる。
3、何故自分が死ななければならないのか。という理不尽に怒りを覚える。
4、死の恐怖に徐々に耐え切れなくなり、自殺を考え出す。
まぁ、1番以外の順番はそのつど変わると思いますが、“僕生き”の主人公の場合はこの順番でした。
僕は大きな怪我こそあったものの、余命を宣告された事なんてありませんから、予想は出来ても、本当の意味で主人公の気持ちは分かりません。
ですが、分からないからといって、そのままという事も、何か違うような気もします。
分からなくても良い。もし、周囲でこうなった人がいたとき、自分に何が出来るのか、それを考えることが大事なんだと思います。
――――あれ? なんか良い事いっちゃった?
と、そのまま素直に終われない、ならはしでした。
それでは~