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 こんばんわ。
 ならはしです。

 今日テレビで病院のドキュメントを観ていて、思ったんですが、生物には二つの“死”があるなぁ。と。
 一つめは『生命活動の停止』これが“生物としての死”です。
 二つめは“ヒトとしての死”です。
 例えば脳死した人がいたとします。
 言葉も喋らず、表情も変わらず、何も考えず、愛する人すら認識できず、ただ起きて寝るだけ、下手をしたら呼吸すら機械の力を借りなければなりません。
 これで“ヒト”といえるのでしょうか。
 ただ起きて寝るだけなら、猿にでも出来ます。
 見た目が“ヒト”なら、人間といえるのでしょうか。
 ハードはソフトがなければ、パソコン足りえません。その逆もしかり。ハードとソフト二つが揃って初めてパソコンといえるのではないでしょうか。
 ならば、“ヒトとしての死”を迎えた人は一体、何と定義すればいいのでしょう。
 “人の身体”“ヒトではない人”“生きる屍”
 まぁ、他にも色々あるんですが、こうなると怖いのが、自分では死ぬ事すらできません。
 そもそも、苦しいとか、楽しいとか、そんなことすら考えられません。
 ひたすらに生命活動を繰り返し、何年何十年とただ呼吸するだけ。
 入院費もタダではありませんし、ぶっちゃけ毎日お見舞いに来るのも大変です。家族に負担もかかります。
 別に死ねと言っているのではありません。
 生きたいと思うのは、生物として当たり前の本能です。それにその方が家族も喜びます。
 しかし、それでもコインに表と裏があるように、光の隣に影があるように、何事も一長一短なのです。
 ですから、何が言いたいかといいますと……とりあえず、今のウチに色々準備しとこうぜ。って……ことになるんですかね?

 それでは~
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