人間が善意で動くとは限らない。
需要側にとっては善意でも、供給側には別の思惑がある。
でも、きっとそれは誰もが分かっていて、見ないフリをしている。
他人とは自身を映す鏡でもあるから。
自分は他人を踏み台にして自尊心を満たすような、卑しい人間ではない。と、大声で否定したい。
だが、鏡は真実しか映さない。
鏡に映った汚れた虚像は、やっぱり穢れた自分だった。
だから、気付かないフリをする。
清潔な自分を保つために。
ゆえに神はそれを“人間”と名づけ、楽園から追放した。
はい。というわけで、Ⅰは短かったです。もう、素直にごめんなさいです。
その分はⅡとⅢで補いますので。ぜひに。
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